勝五郎の読書雑記

藤井裕 ~ この熱い魂を伝えたいんや(上田正樹とSOUTH TO SOUTH/1975年)

生まれて初めて買ってもらったレコードはささきいさおが歌った「宇宙戦艦ヤマト」のシングル盤だった。
確か小学校4年生頃で、それは家で初めてレコードプレイヤーを買った日だった。
レコードプレイヤーといってもソノシートのレコードを聴くのがちょうどお似合いのような安っぽいもので、でも自宅に初めて導入されたそのレコードプレイヤーは家族全員の胸をときめかせた。
3つ上の兄は確か山口百恵の「冬の色」、一緒に住んでいた叔母はカーペンターズの「ジャンバラヤ」のレコードをそれぞれ買っていた。(その後、ジャケット写真のカーペンターズ兄妹の目ン玉の部分はボールペンの先っちょでくりぬかれていたはずだ。)

小学校6年になって初めて買ったLPレコードはジョンデンバーの二枚組「ジョンデンバー ゴールドデラックス」だった。
ジョンデンバーとロッキー山脈のことを紹介したようなテレビ番組をNHKで見て、優しそうな目で自然を愛する歌を歌うメガネのジョンデンバーに惹かれて、テレビを見た数日後に買ったはずだ。
二枚組のそのレコードを聴いて、英語の歌詞カードを必死で解読しながら、「中学生になったら、こんな英語なんかも読めるようになるんや」と思いながら、カントリーロードを口ずさんでいた。
兄はその頃、ビートルズを中心に、今となってはクラッシックといえるような様々なロックを愛聴しており、その兄の部屋からこぼれてくるロックを私もずいぶん聴いて、少年期を過ごした。

私が中学になった頃にはRCサクセションの忌野清志郎の声もこぼれてくるようになり、私自身もRCが大好きになっていった。
「ラプソディー」と「PLEASE」を出して、「シングル・マン」も再発された直後の頃で、ジョンレノンが撃たれたのも確かこの頃である。
中学に登校する前に「ファンからの贈り物」をレコードで聴いた日のことをよく覚えている。

その同じような頃、NHK-FMでRCサクセションのライブがオンエアされるというので、ラジカセにカセットテープを入れて録音していたら、RCの前にアコースティックのライブをしているのも同時に録音されていた。(そのライブの司会をしていたのは糸井重里だった。)
変な声をした人が、「パチンコ!」とか「ボカ~」とか歌っているのを聴いているとだんだん楽しくなり、さらに何度も聴いているうちに、すごくカッコイイんだということが判明してきた。それが「夢・憂歌」をリリースする前頃の憂歌団である。

時は経ち、RCが「BLUE」や「BEAT POPS」を、憂歌団が「リラックス・デラックス」を出した頃に、初めて憂歌団を生のライブで聴きに行った。
森ノ宮のピロティホールで、三組が出演していた。
一組目はセシル。
ニ組目は有勘。
三組目が憂歌団。
セシルというのは誰かは分からないが、ニ組目の有勘にブッ飛んだ。
憂歌団の内田勘太郎がギターを弾き、もう一人の有山淳司という人が歌を歌いながらギターも弾いていたのであるが、これが「悪魔のギター、天使の歌声」と呼ばれる二人組で、有山さんの「梅田からナンバまで」が衝撃を受けるくらいカッコ良い歌だった。

すぐに有山淳司について調査し、「梅田からナンバまで」が入っているレコード「ぼちぼちいこか」(再発盤)を入手してレコードやカセットテープで聴きまくった。
その頃に見に行った百又ビル地下のバーボンハウスでのライブが誰目当てだったのかは忘れてしまったけど、途中でベーシストが誰かギターとふたりだったか、はたまたバンドだったかで数曲だけ演奏し、これがまたメッチャカッコよかった。

このベーシストが藤井裕であった。
ソロのコーナーでは、これも当時ファンであったジャコパストリアスの曲をジャコよりも荒削りな風合いで演奏していた。
演奏していた中のうちの1曲が今もって何の曲だったかは分からないが、調査に調査を重ねて、更に研究に研究を重ね、きっとこの曲が入っているだろうと踏んで買ったレコードが上田正樹とSOUTH TO SOUTHの「この熱い魂を伝えたいんや」(再発盤)というライブアルバムだった。

これが名盤である。
「名盤」とはこれからの残りの人生にも無くてはならない、心に痛撃を与え続けるアルバムである。

d0188185_2330022.jpg1. オープニング -サウス・トゥ・サウス-
2. ウ・プ・パ・ドゥ
3. 最終電車  ♪ 俺から見たらまわりはバラ色
4. こわれたコーヒー・カップ
5. ラブ・ミー・テンダー
6. ブレイク・ダウン
7. むかでの錦三
8. わが心のジョージア
9. お前を離さない

名盤と書いたものの、レコードに針を落としたしょっぱなからガツンと来たわけではなく、ジワジワとその良さが判ってくるという、MARVIN GAYEの「what's going on」タイプのカッコ良さである。

1975年9月28日、兵庫県の芦屋で行われたこのライブの時にベーシスト藤井裕は23歳。(アルバムジャケットの左端)
とても23歳で弾けるようなベースラインではないのに、それを事も無げにうねり上げる腕前は天才としか言いようがない。タマラン。

その藤井裕が今年の10月16日に食道がんで亡くなってしまった。
今年一番の痛恨事である。
超絶テクニックのジャコパストリアスでも、いぶし銀の永本忠でも、世界のポールマッカートニーでも、また、ジェームスジェマーソンでも、ウィリーウィークスでも、ジョージポーターJrでも、ドナルドダックダンでも、ロビーシェイクスピアでも、細野晴臣でも、ベースのカッコよさでは藤井裕にはかなわない。

お好み焼き屋の裕ちやん、いつまでも忘れへんで~。
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(1984年頃の年越しライブ@バナナホール)
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by furomikan | 2014-12-31 23:58 | 音楽 | Comments(0)